あたしとススの後悔
それはダンナのこと
ダンナが老健にいる頃に
もっとリハビリに通わせてあげれば
よかったと今でも思う
個人的なリハビリなので
別にお金は発生する
それが高くて結局通わせられなかった
保険適用ではないしね
リハビリ病院は症状別に
その病院の滞在期間が決まっている
もっとリハビリさせてあげたくてもね
保険適用で受けられる期間が
決まってる
結局もっとリハビリ受けさせたければ
他の所で
自費でやれというのとなのよね
でもそれが高額で
金持ちならともかく
うちらみたいに
毎日の生活に追われているビンボには
それを持続させていくのは
なかなか辛いものがあった
結局お金に負けたということになる
お金に負けて
ダンナはああなってしまった
老健の頃なら
リハビリ病院の頃なら
まだダンナは自分から話そうとしていたし
体も動いたんだよ
民間の施設にいた頃
無理してリハビリやら言語やら
頼んでやっていたのだけど
結局お金が続かなかった
ほんとに生活困窮者は
這い上がれないように
この世の中は出来ているんだよ
ごめんね、ダンナ
結局あたしらはダンナを助けられなかった
ほんとにごめん🙇
時々巡ってくるこの後悔みたいな気持ち
あたしとススはこのままずっと
この気持ちを引きずっていくことに
なるのだろうなあ
やばみにはこの気持ちはない
父親が好きではないので・・
それはそれとして・・
それでもやばみは毎月給料から
だんなの施設費用の一部を出してくれてる
それがダンナへの愛情ということだよね
常識で人はものを考えるものだけど
時として常識の範疇を越えることがある
なぜ予想がはずれたのかを考えたとき
自分自身の常識が邪魔をしていることに
思い当たる
常識を覆した発想をすると
見えてくるものもあるのかもね
でも自分の常識を外すのは
なかなか難しい
それが出来ると解決することも
あるのかもしれない