matohijuma’s diary

自殺未遂を2回してる実父 脳出血で失語症と高次脳機能障害になってしまったダンナ やばみとススというニックネームの子供がいます

出口が見えない

もっと若い頃遊んでおけばよかったなあと

今さらながら思うよ

学生時代は

やたらと規則の厳しい学校だったから

遊ぶどころか勉強一筋だったしさ

各教科、毎日山のように宿題があったしさ


ろくに恋愛もしないで

結婚しちゃったしさ

もっといろんな人と付き合っておけば

よかったなあ

恋愛たくさんしたかった


若い頃遊んでない人は、

年を重ねてからその反動が来るというけど

まさに今がそれ!

めちゃ反動が来てる

ヤバし!

ダンナ不在だから、さらにヤバし‼️



結局、今の自分の人生を見つめたくないから

逃げているということよ

でも逃げてもよいの

逃げてもよいのよ

じゃないと危ないところまで人は行くぜ❗️






子供らからしてみたら

ダンナは当然親という認識

あたしはダンナは

当たり前だけど夫という認識

この差は当然でかいんだよなあ


何か決めるにしても、

親のことなら

わりと割り切って考えられるはずだけど

夫となるといろんなこだわりが

出てくるんだよ


少しでも一緒にいたいとか、

頻繁に面会に行きたいとかさ

そこのところの差はでかい

介護方針にしても、出来るだけ

リハビリ受けさせたいとか、

そこまでしなくてもねとか

いろいろあるわあったわ




何か決めるにしても、

子供らは簡素にしたいことも

こちらとしてはこだわりがあったりとかさ

その辺のギャップにいつも悩むわ

でも子供らと共同で

ダンナの介護をしてるわけだから

それはそれでしかたないのよね

そこはお互いに話し合いなんだけどさ


子供がいなかったら

ダンナの介護も

また違った形になっていたはず

良くも悪くもね

まあしかたない

それも運命だから‼️





もう今は時代的に気軽に結婚、

出来なくなってしまった気がするんだけど

当然、結婚がすべての時代じゃないんだけど

それでも子供らをこのままにさせておいて

よいのかなとふと思う時もある


介護まみれの生活をさせてしまってるしなあ

でもあたしも父がまだいるしね

まだあたしも介護中なんだよ

親子で介護生活

なんて時代なんだろ

終わりは必ずあるのに、

その終わりがいつかが見えない

そこが子育てと違って辛いとこなんだよな

子供は成長していって手が離れていく

でも介護はどんどん重くなっていく

その違いはでかいぜ


出口がない、出口が見えない

でも必ず終わりはあるから‼️

出口の向こうに何があるのだろうか

希望❓️

挫折❓️

悲しみ❓️

光はあるのだろうか

それは行って見ないとわからない

嫌でも時は滑り落ちるように過ぎていく