いつまでも寒いな
だからか桜が咲ききらない
天気も悪いしね
暖かい春の日にダンナと話したこととか
ふと思い出したりする
もう二度とは訪れないあの春の日
なんだかやたらと
時間に追いまくられている
4月の第一週にやることがあるので
全て前倒しで今やっているから
そのせいかもしれないけどさ
何も考えずにふらっとどこかに行ってみたい
重いコート脱いだら
そんな事してみたいなあ
ちょっと都会に繰り出していってもみたい
上野ZOOにも行きたい
動物に癒やされたい
今は春休みだから新学期が始まってからのほうが
空いてて断然いいと思う
外に外に行こう
その方が骨密度が上がると整形外科の先生も
話していたからね
きっと気持ちも晴れるはず
一人でこっそりと・・
見えてくるものがあるかもしれない
離婚してした人の話を聞いた
一緒にいて話も合わなくなってし
うざくなって
自分の時間を楽しみたくなったからだそうだけどさ
熟年離婚はまだいいのかな
もう少し年齢がいってくると
諦めとか面倒だからとかで
そこまでいかない場合もあるよね
そりゃあ相手に囚われず自分のやりたいことを
やるというのもありだとは思うけど
それってまだ自分の体が動くうちだからでは?
そういうことではないのかな
ダンナが倒れたあたりの頃
もうその頃からお金には困っていて
生活保護について行政に相談に行ったら
話の流れで高次脳の人と離婚出来るのか
何気に聞いたらものすごく人非人みたいな目で
係の人から見られた
あたしはたとえで聞いただけなのにさ
そういいうこと聞いてはいけないの?
でも高次脳の人と離婚したいと思ってる人は
多くいると思う
高次脳は家族全員が苦しむ病気だと何かの本に
書いてあった
昔で言う痴呆症みたいな感じだしね
前に失語症の家族を支える教室というのに
出席したことがある
そこでやはりご主人が脳の病気の後遺症で
話をしたことがあるのだけど
その時にやはり離婚を考えてると言っていた
とても支えきれないとね
その気持ちには共感した
そうだよね
綺麗ごとだけでは生きていけない
ほんとにね、大変なんだよ
家族に高次脳の人がいるのはさ
夫がそうなったら妻としての気持ちもね
とてもよくわかる
その人ほんとに離婚したのかな
決意はかたそうだったから実行したかもね
それにしても
失語症の教室に出席したということは
少しでもご主人の失語症を
理解したいと思ったからではないのかな
それはそれだけ
相手を思ってのことだったのではないのかな
そう思うよ
その人は気持ちが揺れ動いていたのだと思ってる
あたしもさ微妙な気持ちになることはある
でもそこまでダンナを嫌いな訳では無いし
雨の中彷徨う子犬のようなダンナを思うと
なんともな気持ちにいつもなる
それにあたしがそうしても
結局実子である子供らにその負担がいくわけで・・
それもどうなのよと思ったりもする
水に降る雪しろうはいわじ
消えきゆるとも
儚いね・・
−閑吟集248番−
はかないけどそんな思いを抱えて
人は生きていかなくちゃいけないこともある
そう思う