matohijuma’s diary

自殺未遂を2回してる実父 脳出血で失語症と高次脳機能障害になってしまったダンナ やばみとススというニックネームの子供がいます

なったものでないとわかるまい

 
アイドルをみてワイキャイしてるのもよいけど
 
やはり虚しさも感じる
 
努力してきたのもわかるけど
 
でも今は成功者になって
 
お金もたくさんもらえてるしゃん!
 
と思うともう嫌になってくる
 
頑張ったら
 
そこそこの結果を求めたいタイプだけど
 
自分の方はますますひどくなってくる介護資金の
 
調達事情で気持ちがめげる
 
がんばってもほとんど成果につながってない
 
それが一番嫌になる理由
 
ミュージシャンの方がなんぼかマシ
 
元気をもらえる
 
 
 
 
 
映画の「海街diary」好き
 
音楽もストーリーも・・
 
鎌倉とか出てくるしね
 
母とかも思い出す
 
母の実家は藤沢だからあの辺もよく行ったな
 
コミックも良かったな
 
この映画を観た頃よりずっとずっと
 
心が追い詰められている
 
あの頃はまだ希望があった
 
今はもうない
 
ダンナ+変な闖入者(父)によって
 
完全におかしくなってる
 
何もかも・・
 
自○の記事の終わりにいのちの電話とかの
 
電話番号が書かれているけど
 
あそこら辺にまず繋がらない
 
それってあたしだけかな
 
 
話してすっきりして
 
それで良いのだろうけどその後は?
 
根本の問題は解決しない
 
してない
 
それをうちらの間では
 
fox in the lambs'skinと呼ぶ
 
だってそうだもん
 
自分等で解決とか無理だもん
 
 
 
 
 
 
 
WOWOWオンデマンドで「貧困女子」を観ている
 
三話目くらいの話だったかな
 
登場人物のひとりが
 
「人生を犠牲にしてまで
 
親族を面倒みる義務はない
 
社会の責任なのに
 
家族に押し付けている
 
自分の人生を大切にしてよかったんだよ」
 
というようなセリフを話している
 
そうなんだよね
 
家族にすべて丸投げされても困るんだよな
 
お金に余裕がある人ならよいけどね
 
でもそうせざるを得ないのもわかる
 
要するに年寄りが長生きでなかなか4なないから
 
てしょ?
 
それは理解出来てる
 
でもそれにしても貧困世帯がなぜ
 
親の面倒を、介護をなぜ子供がみなくては
 
ならないのだろう
 
何も自宅介護だけではなく
 
施設にあずけていて
 
その施設費を子供が支払っていても同じこと
 
さらに貧困が増すじゃん
 
 
自分の人生だけではなく
 
人の人生まで背負うのはやはりあきらかに
 
無理がある
 
社会がもっとしっかりしていれば
 
そんなことはなくなるかもしれない
 
そうなれば家族の負担はぐっと減るはず
 
 
けっこう瀬戸際にきてる
 
うちはきてる
 
やはり昨今の事件のように人が4なないと
 
事は動かない
 
それは4んでも変わらないかもしれないけどさ
 
 
 
点滴たけでよく父は生きてると思う
 
医学の進歩はすばらしいことだけど
 
その分なかなか旅立てなくなってきてるね
 
それがよいかどうかはわからない
 
金儲けということにも関係しているよね
 
東洋医学の先生はそんなこと話していた
 
 
 
介護が終わったら。
 
それはホッとする
 
これでやっと自由になったんだと
 
両手を上げてホッとする
 
長かったねえと思うだろうな
 
それはたとえダンナのことでもきっとそう
 
そう思ってしまうだろう
 
寂しさも虚しさもある
 
それでもだよ
 
それでもやっぱりホッとしてしまうだろうな
 
 
こちらも空腹に限界があるのだよね
 
その立場に
 
なったものでないとわかるまい
 
飽食の人になどわかるまい