matohijuma’s diary

自殺未遂を2回してる実父 脳出血で失語症と高次脳機能障害になってしまったダンナ やばみとススというニックネームの子供がいます

それしかない

真夏はよく暑さ逃れに

ダンナとチャリで映画を観に行った

地元の映画館

その映画館は今も残っている


そこのチャリ置き場に行くと

あの時の楽しかったことを思い出して

たまらなくなるときがある



ダンナは映画が好きだった

倒れた後、リハビリ病院から戻ったら

映画に連れて行こうとしていた時がある

でももう何もわからない

理解できない

そのことが衝撃だった


そのことを思うと、

ああ、あのとき、ダンナが倒れた時に

あたしとダンナの普通の日々は

終わりをつげたのだなと思う


夏が来るとそんなことを思い出す

夫婦として日々を過ごしていけていた日を

思い出す


この世ではもうそんな日は

めぐってこない





ダンナが倒れた朝に

駅まで乗っていったチャリは

行方不明になり、ついに発見出来なかった

いつも止めていた場所と

違うところに止めていたのかな?

聞いても答えられないし、

質問の意味もわからない


やばみも

駐輪場のおじさんに

聞いてくれたりしたけど

結局わからないまま

もうそのチャリが出てくることはない


なんだか虚しい

すべてのことにおいて

ダンナはどこか

寂しげなところのある人だったけど

そのとおりの人生になってしまったと

思う


死ぬまで施設暮らし

あの施設では

一番の長老になるのではないだろうか



うちにいたら

やばみと衝突してただろうし

なにが正解かはわからん

あたしとの仲も

険悪になっていたかもしれない


結局なるがままよね

それしかないのだ








人は第一印象がずっと残るものなのだろうか

誰かに○○が嫌いだと言ったら

その人はこちらがずっとそれを嫌いだと

思っているんだよな


会わなかった間、それが変化するとは

思わないのかなあ

いつまでもそれを嫌いだと思われて

嫌な気持ちになるよ

しかたないのかもしれないけど・・


ということは

一度でもなにか人生でへをヘマしたりすると

ああ、あの人はそんなことした人だからねと

そのレッテルが大袈裟だけど

生涯つきまとうのねと思ってしまってる

ヘマできない人生って

辛いなあ


「流浪の月」を読んでそんなことを

感じた

あたしの解釈は違うのかな




まあ某コミックスの登場人物も

そんな感じだったけどなあ