ススとの飯はまだ会
隣りにパパと3歳ぐらいの娘さんがいた
小さい命ってかわいいなあ
生命感あふれていてパワーもらえる気がする
ダンナが元気な頃
春分の日はダンナの実家に行って
そこからダンナの家の墓参りに行っていた
長兄の運転する車に乗せてもらってね
道路が大渋滞で大変だったな
この日はそんなことを思い出す
その長兄もいなくなってしまった
あのとき通った道とかまだそのままあるのにさ
あたしらの周りは
ほんとにだいぶ変わってしまったなあ
もうダンナの実家の墓参りに行くことはない
時ってこうして変わっていくのだね
あー、推しに会いたいなあ
雰囲気味わいたいので
せめてライブ会場まで行ってみたりしたいな
まあ電車代諸々が無理なので
実現できない訳だけどさ
配信とかないのかな
一番萌え萌えの推しに少しでも触れていたいよ
「4月になれば彼女は」って
人を愛し続けることの難しさ、つまり
永遠に続く愛は存在しないっていうのが
テーマなのだろうか
何故人は愛し続けるのか
永遠に続く愛がないと知っていても
人は人を愛し
その愛が失われていくのを止めることが
出来ない
一緒にいる人のことを
ほんとに愛してるのかなと
疑問に思ってしまった
そもそも夫婦って何なのだろうね
一緒に暮らしてみて
わかり会えることもたくさんあるけど
反対に合わないことがたくさん出てきて
距離を感じることもあると思う
愛を終わらせない方法はそれを手に入れないこと
自分のものにならないものしか
永遠に愛することが出来ないのかもしれない
あたしが時として思うのは
障害者で高次脳の夫をどこまで理解することが
出来るのだろうかということなんだよね
もしかして年々距離は広がっていくのかな
それぞれの生活があって
お互いにわかり会えることなどもうないのかもね
だったらなんで夫婦でいるのかなあと
ふと思うわけよ
そんなに真面目に考えることは
ないのかもしれないけどさ
でもなんかモヤモヤするんだよねえ
結婚記念日が
今じゃ辛いものになってしまっている
もう二人で思い出を語ることもなし
ひとりであれこれ今までのことを
振り消える虚しい日になってしまった
そんなことも含めてね
だってもうあたしの心の中にしか
その思い出はないわけだしさ
虚しいよ
ほんとに虚しくってたまらない