トイザらスの広告が
冊子になってポストに入っていたけど
子供にクリスマスプレゼントが
買える家庭はまだいいよ
ボーナスも出なくて
それどころじゃないという人だって
たくさんいますよ
うちは何がいいのか悪いのか
何ができるのかできないのか
わからなくなってきた
ずっとうちにいればダンナは
話せてたかもしれないなあ
でもそれをあたしらの責任と言うには
あまりにも無責任だろ
無理があるだろ
元はといえば、すべて倒れたダンナに
責任があるんじゃないのか?
そんな言い方はよくないけど
あたしらに責任転化されても
それはそれで無理があることだと
思うのよなあ
こちらは介護なんてやったことも
する気もなかったのだからさ
自分の人生の中に、
介護はされることはあっても、
こちらがするなんてシチュエーションは
今の言葉で言う、1ミリも想像して
なかった
老健のリハビリの先生は、失語について
なにも知らなかった
アンパンマンの言葉遊びの表みたいなので
文字をあれこれ作って
それをダンナに読ませるだけだった
そんなんで
話せるようになるわけないなのよ
読めないし、字の意味もわからなく
なっちゃったんだからさ
言語の先生じゃなきゃ
無理なのよね
でも言語の先生なんて
施設になかなかいないのよな
いても話せるようにとかじゃなくて
嚥下のことでいるだけだからね
今、ダンナの部屋、どんだけ
汚くなっているのだろう
ホワイトボードも
きちんとなっているのだろうか
誰も家族の目の届かないところで
とんでもないことになっているのでは
ないだろうか
この介護のことと、ススの方の
マイケルや他の有名アーティストの事と
まったく結びつかない
この降り幅の大きさが
なんとも不思議な感覚を醸し出している
あたしの推しのアーティスト、
その建て替えが終わったらお祝いで
絶対に弾きにいくよね
それまで死にたくない
それを見届けたい
なんなら生で見てみたいが・・・
ススは
同じ敷地にある学校の卒業生なんだから
見に行けるチャンスはあるかも‼️
とひそかに期待してる